座敷牢群島

日頃触れ合った様々な文化についての備忘録となっております。

森銑三『渡辺崋山』

森銑三渡辺崋山』(中公文庫、1978年)[創元選書、1941年]

 中村真一郎頼山陽とその時代』を読んでから史伝熱が湧いてきたので、かつて古本屋で買って放置していた森銑三の人物評伝を読むことにした。まずは『渡辺崋山』である。2年ほど前に石川淳の同名評伝を読んだが、それよりも抑制のきいた筆致だと言えよう。とはいえ客観的な視座を保ちながらも、著者の渡辺崋山への敬愛が筆から滲み出ている。戦時中に書かれた文章なのだが決してナショナリズムの影は感じさせない。

 著者は渡辺崋山本人だけでなく一族や周辺人物の伝記を丁寧に紐解いていく。僅かな資料も漏らさないようにしながら、小さな事実を積み重ねていこうとする筆者の姿勢には敬服する。『全楽堂日録』や『ありやなしや』などの資料がパッチワークのように引用されている。

 また、著者は残されている日記類を丁寧に整理していく。病に臥せっている崋山、生まれて初めて海に釣りに出る崋山など実際に生きていた渡辺崋山が思い描ける。田原藩の重役として地元の民衆のために奮闘するエピソードはどちらかというと都会派のイメージが合っただけに意外だった。紀伊藩の難破船から流れた荷物を地元民が横領してしまうというなかなか間抜けな事件なのだが、このような俗事でも決して厭うことなく立ち向かったあたりは本当に清廉な人だったのだろう。