牧角悦子『ビギナーズ・クラシックス 中国の古典 詩経・楚辞』
牧角悦子『ビギナーズ・クラシックス 中国の古典 詩経・楚辞』(角川ソフィア文庫、2012年)
「詩経」は儒教の経典として解釈されてきた歴史が長い。筆者はこのような解釈から離れて、古代の人々の心を歌う詩として向かい合う姿勢をとる。
詩経には恋を成就させ子供を産み育てるという素直な欲求が現れており、恋や出産を巡る古代的習俗が書き込まれている。例えば、桃やサンザシといった酸果樹は妊婦が好んで食べるものであり、それゆえに出産を守る幸福な果実として登場している。「桃夭」に現れる桃の木は特に呪力を持つ木であり、結婚にふさわしい。また、男女が送り合う芍薬は強壮剤であり、妊娠生子の願いが込められている。
「碩人」では荘姜の美しさを表現するたとえに、「すくもむし」や「ふくべ」と言った物が使われている。変態する虫である「すくもむし」は再生の象徴し、種が密集している「ふくべ」は子宝を象徴するという。このような生命力や再生の象徴を詩のなかに書き込むことによって呪術的な霊力を内包させているのだという。
古代人の願望や思いも現代人とつながるところがあり面白い。思わず「そうだよなあ」と思ってしまう一篇だけ引いてみる。
山有漆 山に漆有り
隰有栗 隰に栗有り
子有酒食 子に酒食有らば
何不日鼓瑟 何ぞ日に鼓瑟せざらん
且以喜楽 且つ以て喜楽し
且以永日 且つ以て日を永くせん
宛其死矣 宛として其れ死せば
他人入室 他人室に入らん
山には漆、隰には栗
酒も魚もあるならば、どうして鼓ち(たいこうち)瑟きて(ことひきて)日々たのしまないのか。
そうやって楽しみ、そしてまた日永に暮らさないのか。
そのうち死んでしまったら、他人が部屋に入ろうに。
「楚辞」もまた悲運の忠臣である屈原作とされており、それゆえに儒教的文脈によって解釈されてきた。筆者はやはり楚辞も古い神話における魂の天界遊行を描いた詩として解釈する。神々への思慕や情愛が神話的ロマンとして展開していくさまはなかなかおもしろい。