座敷牢群島

日頃触れ合った様々な文化についての備忘録となっております。

吉村昭『間宮林蔵』

吉村昭間宮林蔵』(講談社文庫、1987年)[単行本:講談社、1982年]

 

 択捉島シャナ会所へのロシア船襲撃から物語は始まる。僅かな人数のロシア人に怯え武士たちは無様に逃げ出す。しかし、そのなかで間宮林蔵は強く抵抗することを訴え、自分だけは抵抗しようと提案したことを証明するように証書を書くようにさえ要求する。

 迎合しようとしない意志の強さ、惰弱な人間と一緒にされたくないという成り上がり者の矜持がこのエピソードには示されている。この林蔵の性格が過酷な樺太調査を可能にしたと言えよう。

 林蔵は物凄い速度で歩き回り、厳しい寒さにも耐える。過酷な環境、山丹人の暴力、荒れた海などの苦難を乗り越えて樺太が半島ではなく島であることを明らかにする。周りからは不可能と思われていた樺太北部・東韃靼調査を成し遂げていく過程は吉村流リアリズムで見事に描かれる。

 (粗暴な山丹人の描写は迫力があるのだが、小説に好都合な身勝手なイメージとしてよく知らない北方民族を利用しているとも思えてしまう。)

 後半では林蔵の幕府の隠密としての活動が描かれる。間宮林蔵を軸にシーボルト事件やゴロヴニン事件、竹島事件など江戸時代後期の異国関連事件の群像が描き出されていると言ってもよい。

 シーボルト事件では、世間の誤解から密告者としての噂が広まり、白眼視されることになる。必要以上に群れることなく厳密にルールを守る人間は、どうしても世間から疎まれてしまうのかもしれない。鍛錬によって異様なまでに鍛えられた早足は、林蔵の成功を支えていると同時に、世間からの乖離を象徴しているように思えてしまう。

 北から南まで全国を歩き回った林蔵は、両親の死に目に立ち会えなかった。当然妻子もおらず、放置していた故郷の家は朽ち果ててしまう。幸福な家庭生活と孤独な成功が両立しないこの構図は、測図の師匠にあたる伊能忠敬にも共通する点である。この二人の成功と孤独が描かれていることもこの作品に陰影を与えている。