座敷牢群島

日頃触れ合った様々な文化についての備忘録となっております。

埼玉県立近代美術館「版画の景色 現代版画センターの軌跡」

 「現代版画センター」についての詳細を知っているという方は戦後美術について相当通暁していると思われる。センター活動時には生まれてすらいない私は展覧会の名前を聞くまでは存在すら知らなかった。

 知らないとはいえ、埼玉近美で現代美術を取り上げるときに行かないという選択肢はない。例のごとく北浦和公園を少し歩いてから埼玉県立近代美術館へと入った。

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 靉嘔や木村光佑、高柳裕、オノサト・トシノブといった面々の作品は当然面白く、見ているだけで楽しい。とはいえ、「各作家の面白さはわかるけど現代版画センターとは何ぞや?」という疑問も浮かぶ。そんな疑問を持ちながら歩みを進め、大きな空間へ抜けると、そこにはプロジェクションされるスライドと大量の資料があった。
 ここに置かれているのは現代版画センターが刊行していた『版画センターニュース』や『画譜』といった刊行物である。上述したような疑問を持っていた私は資料を読み始めたが、現代版画センターは想像していたよりも遥かに面白い組織であることがわかった。
 現代版画センターは作家側主体ではなく、コレクター・愛好者の側から設立された団体なようだ。センターは版元として活動することによって量産できる体制を整え、会員制システムを導入し「エディション」の形で作家に作品を依頼することで会員に手頃な形で良質な作品を提供することを可能にしたのだ。会場に並べられた多くの刊行物には、当時の作家たちの熱気だけでなく美術ファンたちの熱気も迸っていた。
  資料に目を通し終えて次の部屋に向かうと大量の作品が大きな部屋に展示されており、順路も設定されていない。大量の作品の放つ圧に気圧されながらも、彷徨うように作品を見ていく。美術作品の価値はタブローが持つような「世界に一枚しかない」単一性に(のみ)あるわけではなく、エディションが付されて複数枚産み出される版画も高い価値を持ち人々を惹き付ける。版画が持つ魅力とメリットを最大限に活かそうとしたのが、現代版画センターによる普及の試みなのだろう。
  日本画壇の旗手である加山又造、「原の城」で知られる彫刻家舟越保武磯崎新安藤忠雄といった建築家など他分野で活躍した作家たちの版画もある(磯崎新の版画にこんなに短いスパンで再遭遇するとは……)。ポップ・アートのレジェンドであるアンディ・ウォーホルの作品もある。様々なエネルギーが集まってきた「場」として「現代版画センター」が存在したのだろうと胸が熱くなった。高い価値を持ちながらも所有することも可能である版画という媒体を通じて、美術を社会へと広げていくための壮大な試みとして「現代版画センター」が立ち現れてくるような気がした。これが版画の景色なのだろうか。
 自宅へ帰り、もらってきた資料や図録を机上に開く。
 埼玉近美の広報紙『ZOCARO』2017/12-2018/1号には、五味良子と梅津元による現代版画センターが持つ3つの軸についてのわかりやすい説明が掲載されていた。版画センターは①メーカー(版元としての活動)、②オーガナイザー(オークション、展覧会などのイベント組織)、③パブリッシャー(刊行物の編集・発行)という3つの役割を担い、この3つの軸が相乗効果を起こしているという。この「現代版画センターの軌跡」展の狙いについてはこう述べられている。

この展覧会では、この3つの軸に注目して、現代版画センターを、時代の熱気を帯びた多面的な運動体としてとらえてみたいと考えています。そして、その多面的な運動体が帯びていた「熱気」を体感できる展示空間の出現と、その運動体が時代に残した「爪痕」としての作品、出来事、出版物を俯瞰的にとらえうる印刷物(カタログ)の出版を目指しています。

 少なくとも私にはこの狙いは成就しているように感じられる。現代版画センターの熱気は空間として出現していた。
 極めて魅力的な形状を持つカタログについても付言しておく必要があるだろう。A(テキスト・ブック)、B(ヴィジュアル・ブック)、C(アトラス)がケースに収められている。

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 テキスト・ブックにはエディション作品や刊行物の目録、関係者へのインタビューが、ヴィジュアル・ブックには図版が収められている。年譜と地図が巨大な一枚になっているアトラスを見るとこのプロジェクトの大きさ・熱量・密度がよくわかる。

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 1974年に活動を始めた「現代版画センター」は11年後の1985年で活動を終えてしまったという。この壮大かつ魅力的な試みを再検討する、さらにいえば美術と社会のかかわりについての思索をさらに深める端緒としてこの展覧会の持つ意味は大きいだろう。惜しむらくはセンターの終焉の経緯が掴めなかったこと、そして資料を読むことを敬遠した読者にセンターの意義が伝わりきらなかったのではないかということだ。しかし、その点を差し引いても大変に素晴らしい展覧会だった。