座敷牢群島

日頃触れ合った様々な文化についての備忘録となっております。

吉村昭『戦艦武蔵』

吉村昭『戦艦武蔵』(1971年、新潮文庫)[単行本 1966年、新潮社]

 

 漁具に用いられる棕櫚の繊維が市場から姿を消し、漁師たちが異変に気がつく場面から作品は始まる。安定供給されているはずの棕櫚が消えることに漁師は首をひねるばかりだ。この棕櫚を買い漁っていたのは三菱重工長崎の社員たちなのだが、何故棕櫚なんかを集めているのか彼らも理由を知らない。この棕櫚は巨大な縄となり、大量の縄によって機密事項である戦艦武蔵の存在を隠すために使われる。

 外国へと情報が漏れないように、戦艦は長崎市民の目からひた隠しにされている。作業場に大量の棕櫚の縄をかけ、目隠しのためだけに倉庫を作り、崖にペンキを塗る。本人たちはいたって真剣であり筆者の筆致も冷静であるのだが、それゆえに滑稽である。殆どの作業員たちも戦艦の全容を知ることがないままに作業を進める。海軍と三菱重工が総力を上げて戦艦を作っている間に、戦争の主役は戦艦から航空機へと移ってしまう。必死に作り上げ隠し通している巨大な戦艦はいつの間にか時代遅れの巨大な鉄の塊となる。市民は見えない巨大な何かに怯え、作業員は作り上げているものが何かがわからず、上層部はもはや巨大戦艦を作る時代的な意味を失っている。それでも巨大戦艦ができれば何とかなると皆が一致団結しているさまは、悲壮であり、結果を知るものからすれば哀れである。

 幾人もの狂気的な力によって完成した武蔵はその巨大さゆえに重油不足のなかでは無闇矢鱈に動かすことができずただただ停泊することを強いられ、乗組員たちは結局停泊地で防空壕を掘り農園を作っている。ついに強行作戦に出て戦闘に参加することになるが、そのときに戦闘員の心を支えているのはもはや時代遅れとなっている武蔵なのである。しかし、日本の叡智が注がれた不沈艦であるはずの武蔵は米軍機に為す術もなく破壊され海へと沈むことになる。

 作品を通底しているのは、冷静な筆致で珍妙なことを書くことによる滑稽さである。隠し通せそうもない巨大戦艦を様々な手段を用いて真剣に隠そうとする軍部、恐ろしいほどの人々のエネルギーによって作られたにもかかわらず結局時代遅れになり戦果を全く得ることのないまま沈む戦艦武蔵。当事者の内面を覗うのではなく、事態を即物的に記述することによって戦艦武蔵を巡る一大劇が奇怪で滑稽で無常な現実であることが浮かび上がっている。