座敷牢群島

日頃触れ合った様々な文化についての備忘録となっております。

倉本一宏『藤原氏 権力中枢の一族』

倉本一宏『藤原氏 権力中枢の一族』(中公新書、2017年)

 

 藤原氏がいかに権力を握り続けたかをコンパクトにまとめた一冊だが、筆者が「はじめに」で語っている野望は意外にも大きい。藤原氏の権力掌握の様相のなかに潜む大きな意義について筆者は以下のように考えている。

 その様相の中に、日本という国家の権力や政治、そして社会や文化の構造を解明するための手がかりが潜んでいるはずである。たとえば、日本型の王権や権力中枢の問題、政治システムや政治意思決定、官僚制の問題、氏や家といった社会構造の問題、日本文化の問題、そして何より、天皇と臣下との関わりなどである。天皇という君主が武家政権成立後も日本に存在し続けたという歴史事実の謎を解く鍵が、藤原氏皇位継承構想や政権戦略の中に隠されているように考えられるのである。(p.ii)

 テーマ設定が大きすぎて新書では若干厳しい気がしなくもないが、個人的には大変面白い切り口。分量の問題で事実の羅列のように思えてしまうかもしれないが、このテーマ設定を読者が抑えておくことが肝要であると思う。道長・頼通まではそれなりにボリュームがあるが、それ以降はかなりあっさりなのは分量の問題でしかたないか。

 天皇家とズブズブになりお互いに補いあうミウチ関係となって権力の中枢につき、四家分立させ氏を安定させ、最終的に摂関政治で大権を得るという構図が極めてわかりやすく示されている。規則を自分たちに都合よく変えながら意思決定の場所をミウチへとずらしていく「藤原氏的な」権力闘争の過程は確かに現代的。とはいえ、あくまでも藤原氏の権力は天皇家と結びついていることによって保証されているということは面白い。恵美押勝は強大な権力を持ちながらも反乱を起こすと無力であり、栄華を誇った摂関政治外戚関係を失った途端に脆くも崩れていく。

 個々の論では「再分配システムとしての道長」という箇所には驚かされた。なんとなく道長は賄賂という形の搾取を重ねて恣に豪奢な生活を送っているイメージだったが、貢進されてきた牛馬を王朝社会全体に分配していたという。「これらはもう、道長が自分の懐に入れるべき賄賂というよりも、王朝社会全体における牛馬の集配センターと再分配システムを想定したほうが良さそうである(p.215)」と筆者はいい、ここに権力の源泉の一端を見るという。目から鱗である。

 いわゆる本流の藤原氏だけでなく、庶流を紹介している点も嬉しい。歴史を見る視点を大いに吸収し、細かい点について他の資料を当たるための入門書としては極めて良書と言えるだろう。